病名や障害程度がまだ分からない、寝ない、少しずつ飲ませたミルクも溢れるように吐く、反応が薄い、肺炎も繰り返す。妻は、未來の今と将来にネガティブな葛藤が増し、夫婦だけではどうしようもない時期がありました。さすがにその時は未來と妻を助けてもらおうと私の母(未來の祖母)に頭を下げたところ、「ええよ。連れといで!」と二つ返事が返ってきました。私たちの住まいは大阪市内、母の自宅はそこから1時間の高槻市内。高齢でもあり申し訳ない気持ちを抱きつつ、週末のお世話を甘えに行きました。現在でいえばいわゆるレスパイトです。

母は気丈な性格でアクティブかつ何事も全力のひと。週末に預け日曜夕方に迎えに行くのですが、その時渡される写真プリントは、毎回衝撃でした。なんと母は市内あちこちの公園に始まり、ゲームセンターや当時あったデパートの屋上遊園地に未來を連日連れ、あらゆる乗り物や遊具に乗せていたのです。彼女なりに反応の薄い未來を覚醒させようと、本当に尽力してくれました。
預かる度に母は睡眠時間を削られても、未來への気づきとポジティブなエールを欠かさず、私たちにさまざまな明るい希望を与えてくれ続けたのです。
週末のお世話が慣例化していくうちに、未來は電車からの眺めに少し興味を示すようになり、笑顔の時が増えました。また母との何でもない会話を重ねたこともあって、妻も徐々に明るくなっていきました。そして預かりをお願いしない時は、家族で大阪市内を自転車で回遊したりと私たちも息子を隠さないことが当たり前になっていきました。


