子どもの不幸・幸せを深く考えさせられた場所があります。生まれた病院で検査入院した2歳の頃、食道が細いのか食べ物を飲み込むのが下手で、寝そべるようにすると嚥下が進む未來を医師が見て、摂食のサポートに評判の看護師さんがいるからと紹介されたのは中津済生会病院に隣接する「大阪乳児院」でした。
未來の障害でいっぱいいっぱいで、乳児院のことは何も知りません。済生会病院で診察を受け、入所というカタチで乳児院で指導がはじまりました。私たちも毎日午前と午後、面会時間ギリギリまで未來と過ごしているうちに、乳児院が様々な事情で親と一緒に暮らすことができない乳幼児施設であることを知りました。施設には健常児の小さな子もいました。DVなどから子どもの安全を確保するため、複雑で何重にもあるゲートを通過しないと未來に会いに行けません。
院内には考えたこともなかった背景を持つ子どもが多いようで、医師、看護師、保育士、管理栄養士、心理士とそれはたくさんのスタッフがチームで家庭に代わり24時間体制でしっかり見守り育てている光景を見て、自分の子どもだけが不幸でない、もっと未來に愛情をかけないとと気持ちを強く持ち直しました。スタッフの方々からも障害児のありのままを受け入れる大切さを教えていただきました。


入院中に重い肺炎になりもしましたが、思わぬ食欲で生きる意欲を見せてくれたことや、未診断疾患を解明するIRUDの前身にあたる貴重なゲノム検査を受けられたり、その後中学生でようやく判明した病名を、未来の頑張りとともに当時の院長、三崎貴子先生を探し出してお知らせした時にとても感激されたことなど、思い出はプラスの方が断然多いです。
