麻生詩織(大阪市立住吉中学校 副担任 特別支援担当:当時)
教員生活 5 年目の春、住吉中学校に赴任し、72期生との学びがスタートした。住吉中学校は、原学級での学びを基本としている学校で、「ちがうことこそええこっちゃ」という集中実践をはじめ、一人ひとりの良さや違いについて考えることから学びを始めた。私が初めて未來に出会ったとき、この 3 年間で自分にできることは何だろうと考えた。そして同時に、特別支援担当として大切にしている子どもたちの架け橋になることが、自分の果たすべき役割ではないかと思っていた。
しかし今振り返ると、架け橋になってくれていたのは子どもたちだった。一人ひとりが架け橋となり、仲間同士をつなぎ、私たち教員のこともつないでくれていたのである。普段の学校生活の中でも、そのことを感じる場面はたくさんあった。授業でも、「できるだけ教室でみんなと一緒に学ばせてほしい」「どんなことでもみんなと一緒にやらせてほしい」という保護者の熱い思いがあった。その思いに支えられながら育った未來は、本当にたくましかった。
特に印象に残っているのは休み時間である。未來の周りにはいつも友だちがいた。友だち同士の話に一緒に笑ったり、ちょっかいをかけられて嫌そうな表情を見せたり、未來の好きな音や音楽が聞こえると嬉しそうに反応したりと、本当にさまざまな表情を見せてくれた。みんなと一緒に過ごすからこそ生まれる喜びや楽しさ、ときには戸惑いなど、その一つひとつが子どもを豊かに育てていたように思う。また、未來の好きなことや得意なことを仲間たちが自然に理解し、大切にしながら関わる姿も日々の中学校生活の中にあった。ドッジボールの「みくちゃんルール」をはじめ、体育大会でのおんぶリレーなど、子どもたちは学年みんなでできることを常に考え、行動していた。その姿が大きな力となり、学年全体を動かしていた。修学旅行では、萩市内での班別行動にも挑戦した。大人がいない中でも、お土産を買ったり、アイスクリームを食べたりと、子どもたちだけで行動し、かけがえのない時間を過ごした。みんなで過ごした修学旅行は、未來にとっても仲間たちにとっても大切な思い出になったことだろう。
中学校卒業後、未來は西成高校の自立支援コースという狭き門を突破し、新たな環境で高校生活をスタートさせた。また、卒業後も吹奏楽部の「はるいろコンサート」に OB として参加し、仲間や私たち教員との再会を楽しんでいた。そこには、卒業してもなお続いているつながりがあった。迎えた成人式。同窓会にも、もちろん未來は参加していた。「20 歳になったので、お酒だって飲んでいるんですよ」。お父さんからそう聞いたときの驚きは、今でも鮮明に覚えている。その瞬間、もしかすると私自身が、知らず知らずのうちに未來に対して勝手な線引きをしていたのではないかと思い、少し恥ずかしい気持ちになった。未來は私が思っている以上に多くの経験を重ね、自分らしく成長し、いろんなことに挑戦していたのである。卒業して 5 年が経っても、子どもたちは当たり前のように笑い合い、語り合い、同じ時間を過ごしていた。その姿は、中学校時代の休み時間を思い出した。未來の周りには自然と友だちが集まり、みんなで笑い合っている。その光景は中学校の頃と何も変わっていなかった。卒業して何年も経っているにもかかわらず、子どもたちの関係は途切れていなかった。ともに過ごすことで、お互いを理解し、認め合いながら築いてきた関係が、つながり続けていた。

子どもたちの姿を見て、私は改めて感じた。ともに学び、ともに笑い、ともに成長した日々。その積み重ねの中で育まれたつながりは、卒業しても消えることなく、一人ひとりの人生の中で生き続けている。また、未來や 72期生の子どもたちとの出会いは、私自身に多くのことを教えてくれた。「前例がないから難しい」と考えるのではなく、「どうすればできるだろう」と考えること。子どもたちの姿は、いつもそのことを教えてくれていた。これは、今の私の支援教育のベースになっている。振り返ればあの 3 年間は、はじめてのことがたくさんあった。子どもたちや保護者、仲間の教職員と一緒に悩み、考え、積み重ねてきた日々。その積み重ねが、誰もがともに育つ学校づくりにつながっていくのだと感じている。原学級でともに育った子どもたちのつながりは、なにものにも代えがたい、一緒に過ごしたからこそ得た宝物だ。本当に幸せな 3 年間だった。私は72期生の子どもたちのことを誇りに思う。

